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なぜ人間は自ら自由を手放したがるのか?~『自由からの逃走(エーリック・フロム)』から見える社会変革のあり方~

今回は、エーリック・フロム『自由からの逃走』を紹介したいと思います。

簡単に言うと、人間は自由になると強い不安や孤独感に襲われ、やがて自ら自由を手放してしまうという衝撃的な人間の心理を明らかにした世界的名著です。

この本はフロム自身が生きていた第二次世界大戦中の真っ只中の1941年に発表されました。なぜ人間は自由を得たのに自ら自由を放棄し、ファシズム(独裁的政治形態)に傾倒したのか?

社会心理学者であるエーリック・フロムの『自由からの逃走』はその人間心理を分析し、孤独感や不安感に苦しむ現代の人々がどこに向かうべきかヒントを与えてくれる壮大な本です。

①エーリック・フロム(1900-1980)について

ドイツ、フランクフルト生まれ。ハイデルベルク、フランクフルトの大学で社会学、心理学を専攻し、1925年以後は精神分析学にも携わり、精神分析的方法を社会現象に適用する新フロイト主義の立場に立ち、社会心理学界に重要な位置を占めた。ナチスに追われてアメリカに帰化し、メキシコ大学などの教授を歴任。

②書籍の要約

1)自ら権威に服従したがる人間
人間は数百年間自由のために戦った。しかしながら、ようやく得た自由を手放した。台頭してきたファシズムが恐いからではない。権威に自ら跪き服従したのだ。要するに自ら独裁国家の首輪に繋がれにいったのだ。

人間は自由を求める欲望とは反対に、服従を求める欲望をもっているのではないか。

人間はなぜせっかく得た自由から逃走したのか?

2)個のない共同体意識
中世ヨーロッパの封建社会では個人的自由はなかった。生まれた土地には一生住み続けなければならない。一度決まった階級は絶対で他の階級には移れない。百姓は百姓、職人は職人。常に規則と義務に縛られていた。主君が家臣を保護する代わりに家臣は主君のために年貢を収めたり、戦うという主従関係があった。そこには共同体意識があり、孤独感はなく、孤立もしていなかった。自分も他人も一個人として意識することはなかった。ただ社会の中で一定の役割を果たす存在として捉えていた。誰もが何らかの役割をもっていた。そこには安定と帰属意識があった。自分が所属している共同体が面倒を見てくれるという安心感(心の安定)があった。

3)自由と個という苦悩の始まり
ヨーロッパ屈指の貿易拠点のイタリアから封建社会の崩壊が起きはじめた。ビジネスで成功し大金を手に入れたた人たちは自由という感覚と個人という自覚をもちはじめた。古代ギリシャに遡り、人間中心文化の再生、すなわち、ルネサンスが起きた。しかしながら、ルネサンスは富と権力に満ちた上流階級の文化だった。一般市民の文化ではなかった。一般市民の孤独感、不安感はむしろより増大した。成功し金持ちになった人ですら、名誉や地位を得たものはわずかで、益々孤独感は増大した。人間は生きている意味が見いだせなくなると他人からの承認(名誉や地位)が欲しくなるのだ。

4)服従マインドの形成
教会の腐敗からルターやカルヴァンによる宗教改革が起きた。個人→教会→神ではなく、直接個人→神という構図になった。個人が直接神に仕えるという構図だ。彼らはプロテスタントと呼ばれたが、神の前での無力さの自覚と神への服従から服従マインドが形成されていった。神が与えた職業に禁欲的に従事することが、神に奉仕することになると考えた。そして、それらプロテスタントの精神が近代資本主義の発展につながっていった。しかしながら、人間をこれまで以上に孤立させ、無力感と孤独感と恐怖を与えた。

資本主義は自由に耐えられる強い個人をつくりだした半面、これまで以上に孤独感、無力感を与えた。

資本主義の目的は、①財産を増やすこと、②組織の発展であり、幸福が目的ではなくなった。

人間は巨大な経済の歯車となった。孤独の心の支えは、財産、名誉、権力で、孤独な資本家たちの心の支えとなった。大多数の人は家族や子どもをもつことによって威厳を保つことで自分を安心させていた。それらはその場しのぎの精神安定剤でしかなかった。

人間は自由の重荷に耐えられなくなった。(自由からの逃走へ)

5)孤独と社会的帰属意識の原理と残された道
人間には、外界と関係を結ぼうという要求、孤独を避けようとする要求がある。まったくの孤独で、他から引き離されていると感ずることは、ちょうど肉体的な飢えが死をもたらすのと同じように、精神的な破滅をもたらす。

また、価値や象徴や行動様式へのつながりを失っていることを、精神的な孤独ということができる。精神的な孤独は肉体的な孤独と同じようにたえがたいものである。むしろ、肉体的な孤独は、精神的な孤独を伴う場合にのみ、耐えがたくなる。全ての孤独の中でも精神的な孤独がもっとも恐ろしいものだ。一つの重要な要素は、人間は他人となんらかの協同なしには生きることができないということである。

どこかに帰属しない限りまた、生活になんらかの意味と方向とがない限り、人間はみずからを一片の塵のように感じ、かれの個人的な無意味さにおしつぶされてしまう。かれは自分の生活に意味と方向とを与えてくれるどのような組織にも、自分を結びつけることができず、疑いでいっぱいになる。そして結局はこの疑いのために、かれの行動する力、すなわち、生きる力を失うのである。人間には固定した変化しない要素がある。それは、生理学的に規定された衝動を是が非でも満たそうとしたり、孤立や精神的な孤独を極力避けようとするものである。

人間は益々『個人』となればなるほど、人間に残された道は、①愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、②自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちからである。

6)自由からの逃避のメカニズム
①権威主義
自分の欠けている力を自分以外の何かに依存して補うこと。
例)カリスマにすがって行動するマゾヒズム(権威のすがる)
例)他人を操るサディズム(権威をふるう)
➡孤独を癒し、安心したい気持ちが共通して働いている。

②破壊性
対象を壊すことで苦しみから逃れようとする傾向。
例)友人の方が金持ち、美人
➡無力感や恐怖を与えるものが恐くて仕方ない。だから壊して安心を得たい。

③機械的画一性
自分が自分であることをやめる。
例)自分の思考、感情、意思を放棄して自分を世間に溶け込ませて、孤独感や不安感を解消しようとすること。

こういった心理傾向は、現代社会でも見られること。ヒトラーは彼らの孤独感、無力感を操った。無力な個人がゆえ、強力な組織が必要だと。

7)現代の個人の問題は
自由を得た代償として、かつてないほど大きな孤独感や不安感を抱えて生きているのではないか。残された道は何か。

①自発的な活動によって、自分と世界を結ぶこと。
すなわち、自分自身の『思考や感情』を自発的に表現する創造的な活動のこと。
例)芸術家・・・世界と一体化

②愛するという行為
愛は能動的な活動。受動的な感情ではない。愛は与えるもの。愛を持って自発的に世界と関わることで、人は自由の重荷から解放され、自らを救うことができる。

世界との絆の再構築し喜びと安らぎに満ちた真の自由を手に入れる。

 

                   ~所 見~

ニーチェは、人類が自由を得た代償として無力感、孤独感、不安感は今後数百年に渡って拡大していくだろうと予想していたようです。

自由を得るということは、個を感じるということ。個を感じるということはその存在証明ができないと、無価値観につながり、無力感、孤独感、不安感につながるのだと思います。その恐怖を打ち消すために、何らかの社会、組織に帰属したいという欲求が生まれ、その極端な表れがファシズムへの傾倒というものに繋がったのだと思います。もし、人類がその根本的な命題、すなわち、一人ひとりが個という存在価値を実感し、真の自由を得るという問題解決ができていないのならば、また、個人の自己責任に委ねているのであれば、再びその可能性が起り得ると思います。

社会や組織で地位や名誉を得ていた時には、存在価値を感じれたのに、辞めた後に、自分の存在価値を証明する場が無くなり、メンタルダウンする人がいます。しかしながら、当然の帰結ではないかと思います。あらためて、自由な存在、個の存在として放り出された(?)わけなので、精神の歴史上新しい体験をしているのだと思います。それが良いとか、悪いという話ではないのではないでしょうか。あらためて、自分を存在証明する活動や場が必要になってくるのだと思います。

昨今、コロナ禍で人間関係が希薄になるだけでなく、戦争も重なり経済も益々低迷し、格差も拡大しています。そんな中、人々の無価値観、無力感、孤独感や不安感が増大し、自殺者が全世界的に増えており、未来に希望を見出すことが難しくなってきています。あらためて、自由や個という概念の行き場をどこに求めていくのか考えていく必要があります。

フロムは、突破口を創造的活動や愛に求めました。もちろん、それも大切だと思います。しかしながら、私は、組織や社会も変わっていく必要があると思います。教育システムと社会との連動が必要ではないかと考えます。個々の自己変革も必要になってくると思います。一人ひとりの個性や強みを尊重する教育。オンリーワンで良いとする教育。一人ひとりの個性や強みを引き出し、マネジメントしていくことによって最大の価値を生み出すという先進的な考え方をもっている企業や組織の台頭。一人ひとりの小さな自己実現がひいては、組織や会社、国家の大きな成長につながる。自由や個を感じることのできない組織、社会、国家ではなく、自由や個を真に感じることのできる世界をつくることが、人間の本性の実現につながりにつながる。幸福につながる。そのことが、組織、社会、国家の成熟につながる。根本的な解決につながっていくと思うのです。

自由や個を手に入れたことが悪いのではありません。自由や個を活かす社会心理学的アプローチに基づく国家的なマネジメント、組織マネジメントが必要ではないかと思うのです。私はそれを、プロデュース・マネジメントと名付けています。すなわち、マネジメントする側がプロデューサーとなり、一人ひとりの個性、強みを最大限発揮できる土俵をつくり、本人の能力を最大限引き出すことで組織の力に結集していく。それが、人間精神を蝕む混沌とした社会を突破する新しい時代の価値であり戦略になっていくのではないかと確信しています。

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