心の本業の探求
~自分らしい生き方を求めて~

『組織マネジメントの研究Vol.8』【社会的責任①】

テーマ毎のまとめ(マネジメント『基本と原則』/P.F.ドラッガー)

9.社会的責任①

【1】マネジメントと社会
●政府に対する幻滅
政府に対する幻滅、社会の問題を解決する能力への不信が強まっている。社会的な責任についての企業への要求の底にあるものは、企業のマネジメントが社会のリーダー的な階層としての地位を受け継いだとの考えである。リーダー的な階層としてのマネジメントの台頭、政府への幻滅の増大、生活の量から質への重点の移行の結果、企業活動の中心に社会への関心を据えることを要求する声が大きくなった。新しい要求は、企業こそ社会の価値と信条を形成し、個人の自由を実現し、よき社会をつくれという。今日のこのような要求が、マネジメントが新しい考えを持ち行動することを不可欠にしている。

●社会的責任をマネジメントする
シカゴ大学のミルトン・フリードマンが言うように、社会的責任を無視するわけにはいかない。現代社会にはマネジメント以外にリーダー的な階層が存在していないため、社会的責任が回避できないことは明らかである。あらゆる企業にとって、社会的責任は、自らの役割を徹底的に検討し、目標を設定し、成果をあげるべき重大な問題である。社会的責任はマネジメントしなければならない。

【2】社会的影響と社会の問題
●社会的責任はどこに生れるか
社会的責任の問題は、二つの領域において生ずる。いずれも、組織が必然的に社会や地域のなかの存在であるがゆえに、マネジメントにとって重大な関心事たらざるをえない。

①自らの活動が社会に対して与える影響から生ずる。
社会に及ぼす影響は、組織の目的に付随して起こる。多くの場合避けることのできない副産物である。例)工業製品の製造による排水による公害など

②自らの活動とは関わりなく社会自体の問題として生ずる。
組織が社会のために行えることに関わる責任である。社会の問題は、社会自体の機能不全から起る。組織は、社会環境のなかにおいてのみ存在するため、社会自体の問題の影響を受けざるを得ない。問題に取り組むことに抵抗しても、社会の問題は組織にとって重大な関心事にならざるを得ない。健全な企業、大学、病院は、不健全な社会では機能しえないからである。社会の健康は、マネジメントにとって必要である。

●自らが社会に与える影響への責任
故意であろうとなかろうと、自らが社会に与える影響については責任がある。これが原則である。その組織のマネジメントに責任がある。

●社会に対する影響をいかに処理するか
目的や使命の達成に不可欠でないものは、最小限にすることである。影響の原因となっている活動そのものを中止して影響をなくすことができるならばそれが最善の答えである。だが、ほとんどの場合、活動を中止することはできない。理想とすべきアプローチは、影響の除去をそのまま収益事業にすることである。影響を事業上の機会とすることが理想である。不可能ならば、最適のトレードオフをもたらす規制案をつくり、公共の場における議論を促進し、最善の規制を実現するよう働きかけることが、マネジメントの責任である。

●社会の問題は機会の源泉である
社会問題は機会の源泉である。社会問題の解決を事実上の機会に転換することによって自らの利益とすることこそ、企業の機能であり、企業以外の組織の機能である。変化をイノベーションすなわち新事業に転換することは、組織の機能である。社会の問題を事実上の機会に転換するための最大の機会は、社会問題の解決すなわち社会的なイノベーションにある。成功を収めた企業の秘密は、そのような社会的イノベーションにあった。

企業の健康は社会の病気と両立しない。企業が健康であるためには、健全な、少なくとも機能する社会が必要である。社会と地域の健全さこそ、企業が成功し成長するための前提である。それらの問題が自然になくなることはありえない。誰かが何かをしなければ解決されない。

【3】社会的責任の限界
●本来の機能を遂行する
マネジメントは召使いである。主人は、彼らがマネジメントする組織である。マネジメントの最大の役割は、自らの組織に対するものである。組織を機能させ、その目的とする貢献を果たさせることである

組織がそれぞれに特有の使命を果たすことは、社会が関心を持ち、必要としていることである。いかなる組織といえども、本来の機能の遂行という最大の責任を果たさないならば、他のいかなる責任も果たせない。同じように、明日のリーダーや専門家を養成することのできない大学は、いかに多くのよい仕事に携わっていたとしても、責任ある大学とはいえない。

マネジメントは、事業上のリスクを負い、将来の活動に着手するうえで必要な利益の最低限度というものを知っておかなければならない。意思決定を行ううえで、この限度を知らなければならない。社会的責任に関しては、企業以外の組織にも同じ限界がある。自らの組織に特有の機能を危うくしては、いかに高尚な動機であっても無責任というべきである。マネジメントたるもの、特に社会の基本的な組織のマネジメントたるものは、業績をあげ、責任を果たすために報酬を得ている。

●能力と価値観による限界
自らに能力のない仕事を引き受けることも、無責任である。それはむごい行動である。期待を持たせたあげく失望させる。特に組織は、自らの価値体系に合致しない課題に取り組むことを避けなければならない。価値観を変えることはできない。重要と思っていない分野で優れた活動のできるものはいない。

●権限の限界
社会的責任に関するもっとも重要な限界は、権限の限界である。責任と権限は、同一のものの側面である。社会的責任を負うということは、常に社会的権限を要求することを意味する。

マネジメントたるものは、社会の問題に対して責任をとることが、自らの本来の機能を損ない傷つけるときには抵抗しなければならない。要求が組織の能力以上のものであるときにも抵抗しなければならない。責任が不当な権限を意味するときにも抵抗しなければならない。

企業をはじめとするあらゆる組織が、社会の深刻な病気のすべてに関心を払わなければならない。できれば、それらの問題を、組織の貢献と業績のための機会に転換しなければならない。関心を払わないことは許されない。この現代社会において、組織のマネジメントこそ、リーダー的な地位にあるからである。

最大の社会的責任とは、自らの特有な機能を果たすことである。したがって、最大の無責任とは、能力を超えた課題に取組み、あるいは社会的責任の名のもとに他から権限を奪うことによって、自らに特有の機能を遂行するための能力を損なうことである。

 

要点整理


◆マネジメントと社会
企業活動の中心に社会への関心を据えることを要求する声が大きくなっている。あらゆる企業は社会的責任を有している。社会的責任はマネジメントされなければならない。

◆社会的影響と社会の問題
社会的責任には二つの領域がある。一つ目は、社会的影響への責任、二つ目は、社会に存在する組織としての責任である。前者は影響を無くすか、最小限にするか、収益事業に換えるか、規制を設けるかが必要である。後者は、社会的問題をイノベーションの機会とすべきである。

◆社会的責任の限界
マネジメントの最大の役割は自らの組織を機能させることである。組織は社会から必要とされている特有の使命を果たすことが本分である。自らの組織に特有の機能を危うくしては、いかに高尚な動機であっても無責任というべきである。特に組織は、自らの価値体系に合致しない課題に取り組むことを避けなければならない。社会の深刻な病気のすべてに関心を払わなければならない。できれば、それらの問題を、組織の貢献と業績のための機会に転換しなければならない。組織マネジメントこそ、リーダー的な地位にあるからである。最大の無責任とは、能力を超えた課題に取組み、あるいは社会的責任の名のもとに他から権限を奪うことによって、自らに特有の機能を遂行するための能力を損なうことである。

 

所 見

人間は存在しているだけで、影響し、影響を受けている。それが人間関係だと思う。それと同じように、組織は社会に存在しているだけで、影響を与え、影響を受けている。

人間という一人の個の存在に置いて、健全な環境が人間を育む上で重要であり、また、健全な人間は、不健全な環境では、存在し続けることが難しい。同じように組織においても、社会という土壌がとても重要であるのだと思う。

個人において、生活していく上で他人の生活を害すること、法律を乱すことが許されず、改善が求められるように、組織もその影響により社会を害した場合は同じことが求められる。

そして、個人においても、周囲の人間との助け合いが必然であるように、組織と社会もそのようなことが言えるのだと思う。

しかしながら、できる限界もある。精神的、物理的、経済的な限界がある。また、信条や価値観、人によっては宗教的な問題も出て来る。組織においても全く同じことがいえる。ドラッガーが言うように、社会的問題に取り組むにしても、使命から外れること、価値にそぐわないこと、存在を危うくするようなことをすべきではないということはその通りだと思う。

社会との関係において、『人間という個の存在』と『組織』に共通している本質的に重要なことは、社会的な存在としての存在意義をどのように自らのうちに見出すかということである。すなわち、使命、価値、役割という核となる羅針盤である。それは、判断、意思決定に関わることである。問題が起きた時に立ち返る尺度である。ドラッガーは、組織のマネジメントを切り口に展開しているが、人間という個の存在においても全く同じことがいえるように思う。

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