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『組織マネジメントの研究Vol.10』【マネジメントの必要性/マネジャー①】

テーマ毎のまとめ(マネジメント『基本と原則』/P.F.ドラッガー)

10.マネジメントの必要性

【1】マネジメントの必要性
マネジメントは企業の基礎資源である。
マネジメントがいかにマネジメントし、またマネジメントされるかによって、組織の目的が達成されるか否かが決まる。組織のなかの人や仕事が、うまくマネジメントされるかが決まる。

●企業におけるマネジメントの導入前後で見えてくるもの(※フォード、三菱、GM、シーメンス)
世界的な大企業の創業者、創業当時は、マネジメントを不要なものと考えた。オーナー兼起業家だけが権限と責任を持つべきであるとした。または、それぞれの事業部が規律のない自己流のやり方で勝手にマネジメントしている集合組織だった。いずれも当初は、それでうまくいったかに見えたが、中長期的にはいずれも衰退の道をたどった。また、思いやりのあふれる創業者でも、結果は同じだった。しかしながら、いずれの企業も現在も存在しているのは、理由がある。存亡の危機のような状況において、または、トップの交代時において、マネジメントを導入したからだ。その結果、いずれも回復ないし、業界トップの座を占めるに至った。

●質の変化
企業もある一定の規模と複雑さに達するや、マネジメントを必要とする。マネジメント・チームという骨格が、オーナ兼起業家という皮膚と交代する。それは、皮膚が進化したものではない。完全な交替である。

複数の人間が協力して、意志を疎通させつつ多様な課題を同時に遂行する必要が出てきたとき、組織はマネジメントを必要とする。

マネジメントを欠くとき、組織は管理不能となり、計画は実行に移されなくなる。最悪の場合、計画の各部分が、それぞれ勝手な時に、勝手な速度で、勝手な目的と目標のもとに遂行されるようになる。ボスに気に入られることのほうが、成果をあげることよりも重要になる。

たとえ製品が優れ、従業員が有能かつ献身的であっても、また、ボスがいかに偉大な力と魅力を持っていても、組織は、マネジメントという骨格を持つように変身しないかぎり、失敗を重ね、停滞し、坂を下りはじめる。

 

11.マネジャー①

【1】マネジャーとは何か
●組織の責任を持つ者
この間、かつてのマネジャーの定義「人の仕事に責任を持つ者」から、今日もっとも急速に増えているのが、「組織の成果に責任を持つ者」である。専門家として組織に貢献している人たちである。組織の富を生み出す力や、事業の方向や、業績に重大な影響を与えている。

●新しい定義
マネジャーの真の定義、すなわち、誰がマネジャーかを明らかにすることが緊急の課題になっている。マネジャーを見分ける基準は貢献する責任である。権限ではなく、責任がマネジャーを見分ける基準である。いわゆるマネジャーと専門家との関係も、マネジャーを責任と機能によって定義することによって、はじめてはっきりさせることができる。

●専門家の課題
専門家にはマネジャーが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとって最大の問題である。

専門家にとってはコミュニケーションが問題である。自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。専門家のアウトプットとは知識であり情報である。彼ら専門家のアウトプットを使うべきものが、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。彼らは専門用語を使いがちだが、理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。彼らは自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを供給しなければならない。このことを専門家に認識させることがマネジャーの仕事である。専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえで頼りにすべき者がマネジャーである。専門家が効果的であるためには、マネジャーの助けを必要とする。マネジャーは道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。

逆に専門家は、マネジャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。教師であり教育者でなければならない。自らの属するマネジメントを導き、新しい機会、分野、基準を示すことが専門家の仕事である。この意味において、彼らは自らのマネジャーよりも、さらには組織内のあらゆるマネジャーよりも高い立場に立つ。

●専門家の機能と地位
従来、組織のなかに昇進経路は一つしかなかった。より高い地位と報酬を得るにはマネジャーになる必要があった。その結果、認められ報われるべき者の多くが、そうならなかった。一方で、管理することを望みもしなければ、その力のない者でも、単に認められ報われるためにマネジャーにされた。

機能と地位は切り離さなければならない。少佐だけではマネジャーであるか、専門家であるかわからない。そこで軍では、少佐という地位のほかに、大隊長とかコミュニケーション専門家といった機能上の肩書を与えている。

マネジャーに関する定義は、管理するものは優れているがゆえに多くの報酬を受けるとの意味合いを持っていた。しかし、真の専門家というべき人たち、つまり特定の分野について組織内でリーダーと見なされる人たちについては意味をなさない。

野球のスターが、監督やコーチよりも収入が多くとも不思議ではない。花形セールスマンは地域担当販売部長よりも当然多くの報酬を受け取るものとすべきである。

マネジャーであれ、専門家であれ、マネジメントの一員であることには違いがない。マネジャーと専門家の違いは、その責任と活動において、マネジャーのほうが一つだけ余分な側面を持っていることにある。例えば、50人の部下を持つ市場調査担当マネジャーと、一人の部下も持たずに同じ仕事をする市場調査専門家との違いは、機能でも貢献でもなく、手段にある。両者に要求されるものは同じである。彼らはいずれもマネジメントに属する。

 

要点整理


◆マネジメントの必要性
マネジメントは組織の基礎資源である。マネジメントを欠く場合は衰退の道をたどる。マネジメントを欠く場合、機能不全に陥る。計画も破綻する。製品が優れていても、スタッフが優れていても、リーダーの能力が高くカリスマ性があってもマネジメントという骨格無き場合は、停滞し坂を下りはじめる。

◆マネジャーとは何か
マネジャーを見分ける基準は責任である。専門家にはマネジャーが必要である。専門家にとってコミュニケーションが問題である。専門家が効果的であるためには、マネジャーの助けを必要とする。マネジャーは道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。専門家の機能と地位は切り離さなければならない。

 

所 見

◆マネジメントの必要性
(1)マネジメントは一つの資源
成果をあげるため、生産性をあげるために、人、物、金、時間という基本的な資源をどのようにマネジメントするかが大事だという話はあちこちでよく聞かれる。しかしながら、盲点となっている部分があると思う。それは、マネジメントという基礎資源だ。マネジメントという基礎資源が、組織内にあれば、組織として機能し、きちんと成果もあがる。しかしながら、マネジメントという基礎資源が組織内にないならば、いくら、人、物、金、時間という言葉を知っていたとしても、そのような資源がきちんと備わっていたとしても、成果も結果も出ない。

(2)思いやりがあるリーダーであれば、組織は機能するか
ドイツ企業、シーメンスの創業者ヴェルナー・フォン・シーメンスは思いやりにあふれる人だったらしい。しかしながら、マネジメント・チームをつくらなかった。一時的には成長したが、その結果、方向性を失い、管理不能となり、無管理状態となった。経営破綻寸前に陥り、銀行からマネジメントのための組織とその導入を迫られ導入することとなり、活力を取り戻した。

この事例が示す通り、思いやりのあるリーダーがイコール、マネジメントではない。職員の中にも幻想をいだき、思いやりのある上司がマネジメントができると勘違いをしている人がいるが、全く違う。一時的にはうまくいっているように見えるが、中長期的に見れば、必ずといって良いほど綻びが出始める。思いやりはないよりはあった方が良いがリーダーに求められる根本的な能力はマネジメント能力である。マネジメントには責任がつきもの。時として、思いやりはマネジメントを邪魔する。誰しもが、人に優しくし、優しくされたい。それで組織が機能し、成果も上がり、スタッフの幸福度が醸成されれば何も言うことにはならない。しかしながら、ビジョンを示し、素材(資源)を活かし、決断し、実行して、全体をまとめていく力、すなわち、マネジメント能力と思いやりはイコールにはならない。現場で人望があり、マネジメントスタッフ、マネジメントリーダーに昇格させたが、上手くいかないケースというのは少なくない。

(3)一時的に成果があがっているように見える組織の実態と末路
マネジメントが機能していないのに、マネジメントという基礎資源がないのに、表面上成果や結果が出ているように見えるケースがある。それは、カリスマ性があったり、個人としての能力が高いトップやリーダークラスがスーパーマンように動き回っている場合だ。それは成り立っているような錯覚を起こす。彼らを頼りに組織がまわっている場合は、必ず限界がくる。物理的限界、成長の限界、組織運営上の限界。その人材の個人の能力がゆえに一時的に成果があがっているだけある。その人材が抜けたら、一気に下降線をたどるだろう。そこにマネジメントがあるわけではない。

(4)規模によるマネジメントの必要性の有無はあるのか
ドラッガーが述べているように、大規模組織になれば、マネジメントという基礎資源無くしては成り立たない。成り立つはずがない。すぐに致命傷になる。ドラッガーは、大規模組織を中心に分析、研究しているように見受けられ、あまり小・中規模の組織の実態は知らないのではないかと思う。しかしなら、根本的な問題として、マネジメントの『必要性の有無』については、組織の規模の大きさは全く関係がないように思う。小さければ、必要がないということではない。小さければある程度、全体に目が届くため、対処がしやすいというだけである。小・中規の模組織でもマネジメントという基礎資源が無い場合、様々な問題が起きる。質的向上がはかれない。同じミスが繰り返される。売上が停滞、鈍化し始める。退職者が後を絶たない。良い人材が入ってこない。世代交代ができない。後継者がいないなど。結局はマネジメントという基礎資源がないため、起きる現象である。マネジメントの有無、マネジメントが機能しているか否かは、結果、組織風土、組織文化をつくる。本当に良い人材は、組織風土や文化を尊重するし、健全な組織か見抜く力を有する。

(5)マネジメントを止めた後に起きること
こういうケースもある。以前はマネジメントという基礎資源があり、がせっかく機能していたのに、止めてしまう場合だ。せっかく、機能していて成功していたのに止めてしまう場合だ。前任のマネジメントリーダーが退いた後だ。「(前任者のように)そこまでやらなくても大丈夫なのではないか?」「自己流でやりたい。」「難儀なことはやりたくない。」小規模組織であれば、ほぼ全員がマネジメントに参画する必要があるので、一定の負荷と責任が伴う。前任からマネジメントの伝承が行われないことがほとんど。なぜなら、理論立てて説明するのが難しいからだ。ほとんどの後任者は、そもそもマネジメントを学んでいないためにマネジメントによって何が起きるのか、根本的な有用性を知らない。前任のトップもしくはマネジメントリーダーはマネジメントを知っていたが、後任がそれらを無視して勝手にやりはじめる場合は必ず崩れる。それは必ずしも一気に崩れない。じわじわその日は訪れる。癌細胞が体を徐々にむしばんでいくように・・・。むしろ、以前よりもっと悪くなる。なぜなら、いったん、その状態に慣れてしまった人たちをもう一度、眠りから目覚めさせることは極めて困難だからだ。初期にマネジメントを入れるのと、マネジメントを止めて硬直した後にマネジメントを入れようとするのとでは全く違う。後者になってからマネジメントを入れて立て直すことは極めて難しい。人間の個性を尊重し、生産性や成果に結びつけていくのがマネジメント。人間が光輝く状態をつくりだすのがマネジメントだ。いったん個性に目覚めている人間であれば、そこを去ることもある。不健全な環境では自分自身が光り輝くことができないことを知っているからだ。それは、結果として、良い仕事ができないことを知っているからだ。

(6)マネジメントを基礎資源として育み続ける必要性
マネジメントの基本と原則を知っていれば、変えても良いこと、変えてはいけないこと、ずっと踏襲していくべきことがわかる。

マネジメントを基礎資源として考えた場合、できれば、組織で働くすべての人材がマネジメントを知っていた方が良いと思う。何をもって原理・原則とするのか。知っていれば立ち返ることができる。また、今の組織の状態は、機能しているといえるのか、いないのか、一定の尺度をもって分析ができる。きちんとした理屈をもって、マネジメントに参画できる。本当に自分の働いている組織が大丈夫なのか?も分析できる。マネジメントを知っている、できる人材を常に養成していく環境を整えることが、マネジメントを基礎資源たるものにするのだと思う。マネジメントが機能しなければ、人、物、金、時間は機能しない。したがって、マネジメントは第一義的に重要な基礎資源だと思う。『真摯さ』はマネジメントに求められる重要なファクターだとは思うが、それだけでは、マネジメントの『基礎資源』にはならない。それはあくまで『種』である。育む必要がある。

◆マネジャーとは何か
(1)求められるのは責任を受け止められる人間性
マネジャーが権限だけもち、責任をもたないことはありえない。意思決定する権限もあるが、責任も伴う。私の経験からも、責任から逃げたがるマネジャークラスの人物はいたが、何よりも周りから信頼を得られない。組織としても機能不全に陥る。責任とは、人間性をあらわすものであり、真摯さを示すものだと思う。マネジャーとして求められる重要な資質だ。

(2)強みを活かす人事とは
特に日本は強みと地位があっていないケースが多い気がする。だから、現場が混乱するのだと思う。必ずしも専門的な強みをもった人材がマネジャーが務まる保証はない。報酬をあげるために、マネジャーの地位にあげるというケースは本当に多いと思う。卓越した専門的な強みがあれば、報酬をあげられるような環境をつくるべきである。今の時代にそぐわない。ドラッガーが述べていたように、名プレイヤーの報酬が監督、コーチの報酬を上回ることがあるのは当然である。マネジャーとしての地位を与えても、機能しなければ意味がない。それは、単なる人事の失敗というに収まらず、その立ち位置からして、本人とその部下に悪い影響を及ぼすだけでなく、顧客や末端のユーザーにも影響を及ぼす。さらには、組織内外の評価にもつながっていく。

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