人間味溢れる組織づくりが地球の未来を創造する
~プロデュース・マネジメント~

『自己マネジメントの研究Vol.5』《人生をマネジメントする》

テーマ毎のまとめ(プロフェッショナルの条件/P.F.ドラッガー)

2.自己実現への挑戦

【1】人生をマネジメントする

●第二の人生をどうするか
第二の人生をどうするか。歴史上はじめて、人の寿命のほうが組織の寿命よりも長くなった。もはや、30歳で就職した組織が、60歳になっても存続しているとは言い切れない。ほとんどの者にとって、同じ種類の仕事を4、50年も続けるのは長すぎる。飽きる。惰性になる。耐えられなくなる。まわりの者も迷惑する。

偉大な芸術家は例外である。印象派の巨匠クロード・モネは、80代で名作を遺した。パブロ・ピカソは70代で新しい画風を開いた。90代で亡くなるまで描いた。今世紀最高のチェロ演奏者パブロ・カザルスは、演奏会のための新曲に取り組んでいる時、97歳で亡くなった。

同じ超一流の物理学者でも40代に偉業をなしたマックス・プランクは、1918年60歳のときに、第一次大戦後のドイツ科学界を再建した。1933年、ナチによって強制的に引退させられたが、1945年、90歳近くになって、ドイツ科学界の再建に取り組んだ。アインシュタインは、40代には引退同然で単なる有名人となった。

今日、中年の危機がよく話題になる。45歳ともなれば、全盛期に達したことを知る。同じ種類のことを20年も続けていれば、仕事はお手のものである。学ぶべきことはさしてない。仕事に心躍ることはない。

知識労働者には、いつになっても終わりがない。文句は言っても、いつまでも働きたい。とはいえ、30歳には心躍った仕事も、50歳ともなれば退屈する。したがって、第二の人生を設計することが必要になる。

●第二の人生を設計する方法
第一の方法
第二の人生をもつことである。単に組織を変わることであってもよい。仕事がうまくいっているにもかかわらず、第二の人生を始める人が増えている。

仕事はそのままで組織を変える。
例)能力は十分にある。仕事の仕方も心得ている。
→大企業の経理部長が病院の経理部長になる。

②仕事も組織も変える。
例)子どもは独立した。地元のコミュニティで仕事をしたい。何がしかの収入は欲しい。何よりも新しいことに挑戦したい。
→企業や自治体で20年ほど働き、45歳前後で中堅幹部となっていながら、子どもが大きくなったのを機に、ロースクールに入り、数年後、法律事務所を開く。

第二の方法
パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわち、本業にありながらもう一つ別の世界をもつことである。

20年、25年続け、うまくいっている仕事はそのまま続ける。週に40時間、50時間を割く。あるいは、あえてパートタイムとなったり、契約社員になる。しかし、もう一つの世界をパラレル・キャリアとしてもつ。多くの場合、NPOで働く。週10時間といったところである。

第三の方法
ソーシャル・アントレプレナー篤志家[とくしか]…社会奉仕や慈善活動に熱心であること)になることである。仕事は好きだが、もはや心躍るほどのものではない。そこで、仕事は続けるが、それに割く時間は減らしていく。そして新しい仕事、特に非営利の仕事を始める。

第二の人生は早めの助走が大切)
第二の人生をもつには一つだけ条件がある。本格的に踏み切るかなり前から助走しなければならない。
後に篤志家となった人たちも、本業で成功するかなり前から、そのような事業に取り組んでいる。40歳、あるいはそれ以前にボランティア経験をしたことのない人たちが、60歳になってボランティアをすることは難しい。

第二の人生は逆境時に救ってくれる)
知識労働者にとって、第二の人生をもつことが重要であることには、もう一つ理由がある。誰でも、仕事や人生において挫折することがありうるからである。逆境のとき、単なる趣味を越えた第二の人生、第二の仕事が大きな意味をもつ。

第二の人生が成功の機会をつくる)
知識社会では、成功が当然のこととされる。だが、全員が成功することはありえない。失敗しないことがせいぜいである。成功する人がいれば、失敗する人がいる。そこで、一人ひとりの人間及びその家族にとっては、何かに貢献し、意味あることを行い、ひとかどになることが、決定的に重要な意味をもつ。第二の人生、パラレル・キャリア、篤志家としての仕事をもつことは、社会においてリーダー的な役割を果たし、敬意を払われ、成功の機会をもつということである。

●革命的な変化
自ら成果をあげ、貢献し、自己実現するということは、その他諸々の課題と比べて、はるかに簡単に見えるはずである。答えも、素朴いっていいほど簡単である。IT革命の本質も進化である。成果をあげるということは一つの革命である。思考と行動において、これまでのものとは180度違うものが必要となる。

知識労働者なるものが大量に登場し始めたのは、わずか一世紀前にすぎない。知識労働者なる言葉も、1969年の拙著『断絶の時代』において、初めて使った造語である。

今日、仕事の仕組みや主人の意向によって決められたことを行うだけだった肉体労働者に代わり、自らをマネジメントする者としての知識労働者へと労働力の重心が移行したことが、社会の構造そのものを大きく変えつつある。

これまでの社会は、組織はそこに働く人よりも長命であって、そこに働く人は組織に固定された存在だった。自らマネジメントするということは、逆の現実に立つ。働く人が組織よりも長命であって、そこに働く人は自由に移動する存在である。

●日本がモデルとなるか
日本は、働く人が動かないようにすることによって、歴史上類のない社会の成功をおさめていた。それが終身雇用制度だった。終身雇用制度のもとでは、個々の人をマネジメントするのは、明らかに組織のほうだった。個々の人は動かないことを前提としていた。働く人は、あくまでもマネジメントされる存在だった。

私は、日本が、終身雇用制によって実現してきた社会的な安定、コミュニティ、調和を維持しつつ、かつ、知識労働と知識労働者に必要な移動の自由を実現することを願っている。これは、日本の社会とその調和のためだけではない。おそらくは、日本の解決が他の国のモデルとなるであろうからである。なぜならば、いかなる国といえども、社会が真に機能するためには、『コミュニティの絆』が不可欠だからである。

あらゆる先進国が、今日の姿とは違うものになる。自らをマネジメントすることができ、マネジメントしなければいけないという知識労働者の登場は、あらゆる国の社会を変えざるをえない。

 

要点整理

●第二の人生がなぜ必要となっているのか
①長寿となったこと
組織よりも働く人の寿命が延びたこと。
②数十年の同じ仕事は退屈すること
誰でも、同じ仕事を長期間やり続ければ退屈し、惰性になり、周りの者が迷惑する。
③全盛期は中年でおとずれ成長が止まり学ぶことが無くなること
超一流の一部の芸術家、科学者は除き、45歳頃は大抵全盛期であり、仕事はお手のものになる一方、学ぶべきことは無くなり、心躍らなくなる年になる。

●第二の人生の設計の仕方
組織だけ変えるか、もしくは新しいことへ挑戦すること。
②現在の仕事を維持しながら、第二の仕事をもつこと。
③仕事を減らし慈善活動家になること。

●第二の人生において留意すべきこと
①早めに助走を開始すること
逆境時に自らを救ってくれること
③社会での成功に機会を掴むことにつながること

●自己実現して成功するためには
思考行動にパラダイムシフトを起こし、進化し、自らに革命を起こすこと。

●人生をマネジメントし、自己実現可能な理想組織、社会とは
社会が真に機能するために必要なコミュニティの絆を前提とし、移動の自由を実現する組織、社会は、人生をマネジメントし、自己実現可能な理想組織、社会となる。終身雇用によってコミュニティの絆を培ってきた日本が移動の自由を実現する解決ができれば、他国のロールモデルとなりうる。

 

所 見

◆人生をマネジメントする

●『コミュニティの絆』と『移動の自由』は両立しない
ドラッガーは、日本に『コミュニティの絆』と『移動の自由』を両立し、自己マネジメントと自己実現を可能な社会にしてほしい。世界のロールモデルとなってほしいと言っているが、果たして可能だろうか。

コミュニティの絆が世界一の品質を生んだ)

戦後の日本型資本主義社会は、終身雇用を前提として発展してきた。会社は社員を家族のように大切にした。ある種の福祉的な基盤が存在し、社員も会社を大事にした。その中で、コミュニティの絆が生じた。当時、日本が世界において「ジャパン アズ ナンバーワン」と言われたのは、そのような背景からだった。なぜ、そう言われたのかというと、品質が世界的に抜けていたからだった。

品質向上を可能とした終身雇用)
終身雇用で移動がないということは、そのことに精通した、深い見識をもつ熟練した社員を生む。改善に改善を重ねることが容易となる。研究者と同じだ。品質の飽くなき向上が可能となる。しかしながら、善し悪しではなく、移動を自由にすると、品質は劣化しやすくなる。

コミュニティの絆の綻びを生んだ長年の不況と大企業優先の制度)
1985年の労働者派遣法の制定とそれ以降の拡充。そして、1991年バブル崩壊、2008年リーマンショックなど失われた20年、30年と言われてきたこの間、大企業は非正規労働者を増やしてきた。その結果、日本製品の品質が世界一と言われるようなことは無くなった。要するにコミュニティの絆崩壊は、品質の劣化を意味した。

日本が移動の自由を受け入れたらどうなるか)
もし、日本社会や企業がポジティブな意味合いで移動の自由を受け入れたとしても、ダイバシティ、多様性が生まれることによりイノベーションは生じやすくなると思うが、品質の担保はやはり難しくなるのではないか。コミュニティの絆があることで品質が担保され、人材の移動も自由になることでイノベーションが生じやすくなるのが理想だが、両方を追いかけることはかなりの困難を伴う。日本人は村意識で一つにまとまろうとする文化が強い。一度組織を抜けて戻ってきた場合、「出戻り」などと言われて村八分にされる。いったん外に出たことによって新しい知識や経験を積んだバージョンアップした貴重な人財とは見ない。また、生え抜き組と中途採用組との温度差も生じやすい。市場も企業も品質を重視する姿勢は日本人の特性と言える。したがって、中小企業よりは実現性が高い大企業といえども、品質が失われる可能性がある移動の自由を推奨することはありえないと思う。

日本の方向性)
この本が書かれているのは、2001年である。日本も当時よりは、多様な働き方を認める方向へ傾いているが、先日の報道にあるように、サントリーの新浪社長の45歳定年発言が問題視されたように、終身雇用的な意識は根強いと思う。大企業は別として、一定の普遍性があるのは、パラレル・キャリアや早期退職によって第二の人生を始めるということになると思う。早いうちから企業間を自由に行き来するような社会は日本では難しいように思う。日本全体の方向性としては、まずコミュニティの絆を前提とした上で、イノベーションしうる環境をつくっていく方向へ舵をきると思うし、またそうでなければ、生き残れないと思う。イノベーションしやすい環境とは、社員が多様な働き方やスキルの磨き方を実現しやすい環境、すなわち、自己マネジメントしやすい環境をつくり、そのことで個性を育めるようにし、多様性をつくり、自由な発想を表現し集約しやすい環境のことである。

●社会との関係性にみる人生のマネジメント
ドラッガーにおいては、個人の存在を社会との関係性において規定しているため、社会との関係性における一定の区切りから第二の人生という言葉になっていると思う。人間の内面性を第一義的に考えるのではなく、社会との関係における人間を第一義的に考えるからである。それは、社会において、どう上手く生きていくかということに言いかえることができる。実際、社会や他者との関係において、自らを規定している人間がほどんとであるので、一般的に説得力がある。また、それは現実的な問題として、社会から認められること、すなわち、経済的な裏付けがなければ、生きていくことが難しいことから帰結していると思う。また、そのような考え方も人生マネジメントの実践的ノウハウとして有意義ではあるとは思う。

●個人の精神世界にみる人生のマネジメント
一方で、精神世界にみる人生のマネジメントにも焦点をあてる必要があると思う。そして、そのことにより、より一層、ドラッガーが述べているような実践的ノウハウは生かされてくると思う。以下は持論である。

精神世界においては、人生は一度しかない。切り離されていない。

人生は何をするためにあるのか)
人生とは何をするためにあるのか。第一に、自らの人生の使命課題を見つけること。そして、第二にそれを全うするために何を通して行うのか、すなわち、自らの強み得意なことを見つけること。そして、第三に使命、課題を見つける上でも、また、成就していく上でも大切となる心の安定安楽の世界を醸成すること。

人生は何のためにあるのか)
人生は何のために存在するのか。人生の本質的なテーマ、命題は何か。体験知性を通して自らの心、魂を磨くためにあること。すなわち、本物の幸せ愛情を希求するためにあること。そして、それは次の人生地球人類の未来宇宙の叡知へと果てしなくつながっていくこと。

人生マネジメントの核心は革新しつづけること)
私の話は、抽象的でドラッガーの実践的な話とは違うが、共通していることがある。それは、人生をマネジメントしていく上で、実践的にも、精神的意味合いにおいても、新たなことに挑戦していく姿勢』『パラダイムシフトしていく姿勢』『自らを進化させ、変革を起こす姿勢』がなければ、道は開けないということだ。

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